(※注意!)
当記事は、今現在「受験生」でいらっしゃる方には、毒となる内容が含まれております。
試験を控えておられる方には、正直オススメできない記事です。
そういった方は、当記事を読まずに、他記事をお楽しみくださいませ。
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受験シーズンです。
昨年同様、今年も新型コロナの影響は大きい。関係者の皆様、お疲れ様です。
そんな中、九州の地方紙「西日本新聞」のコラムで、興味深い内容のものを発見しました。
内容は、「病気と受験」についてのもの。
www.nishinippon.co.jp(2021/2/16)
「皆勤賞なんかやめるべきだ」とある小児科医は言う。
毎年冬になると、保護者が発熱したわが子を連れて「インフルエンザの検査をして」とやって来る。
結果は陰性。
翌日も来て「もう一回、検査してくれませんか」。
ただの風邪の症状だが、親はインフルエンザと診断してほしいようだった。
聞くと「陽性なら欠席扱いにならない。皆勤賞が懸かっている」。
皆勤賞は推薦入試に有利らしいのだ。
頑張る子には拍手を送りたい。
一方で、どこかおかしいという思いは私にもある。
本当に元気ならいいが、賞欲しさに微熱があってもゲホゲホせきをしていても、登校する同級生がいた。
皆勤賞の存在は「自分のために、周りの人のために、休む」という選択を阻んでいるように感じる。
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/693512/より。改行等は筆者によるもの)
学校で皆勤賞を貰えば、推薦入試に有利な材料となる。
その為、親は「ルール上、皆勤賞になれるギリギリのライン」を狙ってくる。
まぁ、これは「親心故の行動」なのでしょう。
しかし、どんなに気を付けていても、病気になる時はあります。
病気になるということは、「今は免疫が戦っているから、ちょっと休んで下さいな」というメッセージ。
無理をするより、安静にした方がいい。
無理を押して出席した結果、本格的に体調が悪くなる…というリスクを考えているのか?
伝染病だった場合、周囲にまき散らすリスクがあることをどう考えるのか?
そして、「インフルエンザかどうかは不明だが、何とかインフルエンザということにして欲しい」といった奇妙な要望を通してもいいのか?
正直、どれも子供さんの教育にはマイナスに働くでしょう。
何故ならば、「受験に有利なものが一番」という思考回路を植え付けてしまうから。
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今の日本は、学歴社会ではなく「受験社会」です。
学歴社会とは、「どんな学問を学び、何が出来るようになったのか」という能力重視の社会である筈。
一方、「受験社会」とは、「どこの学校に入ったか」ということが重視される社会です。「学校に入って、何ができるようになったか」ではなく、「入門を許されたかどうか」を重視する。
正直、これは社会的に不健康な状態です。
学校は、人材育成の場です。
人材育成とは、「人の能力を伸ばす」ということ。能力が伸びなければ、育成失敗となります。
普通、能力向上のカリキュラムは、卒業までの時間を上限まで視野に入れ、その中で最高レベルに達する様に組まれるものです。
従って、入学できても、卒業or修了しなければ、価値大幅減。
受験に成功しても、学校が「ウチで教えることは全て教えた。あなたは卒業です」と言わなければ、本来の意味から外れたものになってしまう。
しかし、今の日本は「どこに入学できたか」が重視され過ぎるので、本末転倒になりがち。
有名人が「最終学歴、○○大学中退」等とアピールするのは、その典型例です。
卒業していないということは、その学校で教えられたものを吸収しきれていない…ということですから。本来、アピールポイントにしてはいけない。
それをアピールポイントとして重宝してしまう、現代の日本。どこか歪んでいます。
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今の日本の教育システムは、正直言って「官僚や従業員を育てる仕組み」から抜けきっていません。
用意された正解にどうやって近づくか、それが目的の大半を占めてしまい、「自ら考える力」を養うことを軽んじています。
それ故、「正解の用意されていない問題に、トコトン弱い人材」が量産されてしまう。
そういった量産体制の不具合が、新型コロナウイルス騒動で次々と顕在化しています。
問題を先送りすることに専念する、政府と官僚。
選挙や決算時など「大事なポイント」さえ乗り切れば、多少のことは揉み消したりスルーしても許される…と勘違いした政治家や経営者。
その他、従来の手法で通そうとした結果、失敗してボロカスに叩かれた人は多数。
通常時なら、権力や圧力で揉み消していた数々の問題も、ウイルス騒動の前では無駄なあがきです。化けの皮が剝がれたワケです。
教育とは、こういう「化けの皮が剝がれる」という状況にならない様に、様々なスキルを伝授する場である筈。
そして、「この生徒さんは、ウチで教えるスキルをマスターしたから、卒業させます」という責任を持つ場でもある筈。
学校の価値を決めるのは、どんな人を入学させるかではなく、「どんな人を社会に送り出したか」です。入試の難易度は、その一部に過ぎない。
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名門と呼ばれる大学を卒業した人が、今の日本政府中枢や上場企業のメンバーになっていることは多い。
しかし、目や耳を疑う話が多発しています。「なぜこの人を入学させたのか?」「なぜ卒業させたんだ?」という具合に、名門とされる学校が非難される場面もしばしば。
いわゆる”名門校”は、優秀な人材を多く輩出している。これは事実でしょう。
ただ、「学校の名前」を「自分の実力」と勘違いしている人が目立っているのも確かなことです。
コロナウイルス騒動は、そういう勘違いを浮き彫りにしました。
この機会に、学校の名前だけでチヤホヤする風潮を、しっかり考え直した方がいい。
子供を持つ親御さんは勿論、受験から何十年も経過した社会人の方も、よく考えた方がいいでしょう。
大事なのは、「何を学ぶか」です。
学びたいものがあって、その為にどの学校を選ぶか。その結果、受験に挑むかどうかが決まってくる筈。
これが、学歴社会のあるべき姿。今の日本は、違います。
--------------(記事了)--------------