~はてなブログ・今週のお題「読書感想文」より~
読書感想文の良いところは、「ネタバレが大前提」という点です。
これは、筆者の様な者にとって、かなりお気楽な条件。
当ブログでは、映画・漫画・文芸作品などの紹介記事をよく掲載していますが、基本的に「ネタバレ厳禁」のスタンスを取っています。
なぜなら、「紹介した作品のネタバレがあると、見る気・読む気が失せるから」です。当然の話。
ネタバレは、いわば「犯人やトリックを全部解説した上で、推理小説を勧める」という鬼畜行為です。喜ぶ人は少ないでしょう。
その点、読書感想文は「感想文の読み手が、書籍の内容を知っていることを前提にしたもの」です。ネタバレを書いてもOK。それどころか、ネタバレを書かないと良い感想文が書き難い。感想文は、「その本の作者が、最も言いたいことは何か」を論じるものですから。
筆者の様な「ネタバレに触れない程度の紹介文」を執筆するスタイルから見れば、かなり気楽に文章を書けます。これ、かなり魅力的な要素です。嬉しい。
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ところで…
この「感想文では、ネタバレ出してもOK」という点にピッタリの小説があります。それは「ショートショート」系列の作品です。
「ショートショート」は、ひとつの話が極端に短い。1~2ページ程度で話が終わる場合も珍しくない。10ページを超えると、「ショートショートにしては長いな」と言われるくらいのものです。
この短さ故に、「ショートショートの紹介文を、ネタバレ無しで書け」という行為は、かなり難しい。ちょっと内容に触れただけで、すぐネタバレになってしまいますので。
しかし、ネタバレOKの感想文型式ならば、ショートショートは扱い易い作品です。
元ネタが短編ですし、作者の主張が凝縮された形で掲載されていますので、主張を拾い易いという点も魅力。
感想文との親和性が高い。
その例として、ショートショートの大家「星新一」氏の作品を取り上げてみましょう。
星氏の作品は数多くありますが、ここでは『きまぐれロボット』に触れていきます。
(著:星新一/KADOKAWA)
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『きまぐれロボット』は、星氏が得意とする「SF・ファンタジー要素に溢れた、ショートショート作品」です。
高性能AIを搭載したロボット・異星人・夢の新薬・伝説の悪魔…等々が沢山出て来ますが、その多くが「当初の目論見とはかけ離れた、皮肉な結果をもたらす」というオチになっています。
「ブラック要素満載のドラえもん」といったところです。
『きまぐれロボット』は、一冊の本の中に、30ちょっとの短編が掲載されています。
どれも面白いのですが、当記事では本のタイトルにもなっている短編「きまぐれロボット」について述べることに致しましょう。
(なお、念の為繰り返しますが、本記事は「ネタバレ前提」です。予めご承知ください)
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「きまぐれロボット」は、そのタイトルの通り、ロボットにまつわる話。内容を簡単に書くと、以下の通り。
▼お金持ちのエヌ氏が、離島でバカンスを楽しむ為に、身の回りの世話をしてくれる超高性能ロボットを購入した。
▼このロボットを製造した博士は、「人間にとって、これ以上のロボットは存在しない」と断言。エヌ氏は、大金を払ってロボットを買い、一ヶ月間の離島バカンスへ旅立った。
▼その離島は無人島で、外部との連絡手段がなく、迎えの船も一ヶ月後でなければ来ない。煩わしい他人との接触を避け、静かに過ごすのにはピッタリの島である。ロボットが世話をしてくれるし、エヌ氏はご機嫌だった。
▼しかし、2日ほど経過したあたりで、ロボットの様子がおかしくなった。
▼きちんと作動する時間の方が長いのだが、急に停止したり、意味もなくエヌ氏を追いかけまわしたり等々、バグがあるとしか思えない行動が目立ち始めた。
▼「人間にとって、これ以上のロボットは存在しない」という博士の主張に合致しているとは思えない。エヌ氏は激怒するも、外部との連絡手段を断っている。一ヶ月間、我慢するしかなかった。
▼一ヶ月後。離島から戻ってきたエヌ氏は、真っ先にロボット製作者の博士の所へ行って、怒りをぶちまけた。
▼その様子を見た博士は、自分の主張は正しいと重ねて言い、理由を説明する。
▼「人間にとって、これ以上のロボットは存在しない」という言葉の意味は、人間に楽をさせることではない。人間にとってよい事とは、健康を維持することだ。
▼命令通りのことしかせず、故障しないロボットを製造するのは簡単だ。だが、そんなロボットと一ヶ月間過ごせば、運動不足や認知機能の低下を起こすだろう。それはよくない。
▼私の作ったロボットは、持ち主に適度な運動や作業を促す。健康維持に役立つから、人間にとっては良いロボットだ。
▼博士の主張を聞いたエヌ氏は、とりあえず落ち着いた。しかし、何だか微妙な心境になってしまった。
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この話が初めて単行本化されたのは、1966年のことです。今から54年前の話。カラーテレビの存在すら珍しかった時代です。
その時代に書かれた「きまぐれロボット」は、2020年の世相を予言した様な内容になっている。筆者は、そう考えます。
「ロボットに何もかもやらせて、人間が何もしないと、運動不足や認知機能の低下を起こす」という星氏の指摘。これが現代では顕著です。
特に、「大勢の人が、ネットデマに惑わされる場面」が典型的です。
「検索サイト」や「SNSの検索機能」は、半ば情報収集ロボットみたいなもの。そこに検索ワードを入力すれば、簡単に情報が収集可能。メッチャ楽です。
しかし、「情報の質を、検索機能が判断してくれるか?」といえば、必ずしもそうではない。
検索サイトの上位に来るのは、いわゆる「煽り文句だらけのアフィリエイトサイト」や「いかがでしたかブログ」という低品質なページばかりである…ということは、かなり多発しています。
SNSでは、個人が勝手に作ったデマだらけ。大問題になって、警察沙汰になることもしばしば。「デマを作った者」だけではなく、「デマを鵜呑みにして拡散した者」の責任すら問われる時代です。
自分で考えず、検索して出てきた情報を鵜呑みにするとNG。人間にとって、よくない結果になるでしょう。
人間が、自分の頭で情報を吟味しなければ、認知機能の低下に繋がります。社会の混乱も引き起こします。「楽に情報を集めること」だけでは、不具合が発生し易い。
星氏が「きまぐれロボット」の中で述べたオチと、2020年の状況が重なっている。筆者には、そう見えます。
進歩の果てに真理があるとは限らない。重要なことは、前に進むことだけではない。
何が大切なのか、立ち止まって考え、理由を添えて主張できる。それが大事。
星氏の伝えたかったことは、そんなところではないでしょうか。
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