先日、2021年公開予定の映画『シン・ウルトラマン』について、記事を書かせて頂きました。
『シン・ウルトラマン』の製作に深く関わるのは、『新世紀エヴァンゲリオン』等で有名なクリエイター「庵野秀明(あんの・ひであき)」氏。加えて「樋口真嗣(ひぐち・しんじ)」氏の参加も発表されました。
庵野・樋口タッグといえば、『シン・ゴジラ』を製作したタッグです。
『シン・ウルトラマン』も、『シン・ゴジラ』と同じくリアル路線を追及し、子どもから大人まで楽しめるエンタメ作品になる可能性・大。
期待に胸が膨らみます。
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『シン・ウルトラマン』の製作発表を受けて、各種メディアがウルトラマンの特集記事を掲載。
当ブログも同様に、複数のウルトラマン関連記事を書きました。
執筆に当たり、筆者がネットで資料を探していると…以下のサイトを偶然発見。
magmix.jp(2019/8/10)
上記リンク先では、初代ウルトラマンではなく、『帰ってきたウルトラマン』という別作品について特集を組んでいますが…。
実はこの『帰ってきたウルトラマン』、色々な意味で、同情を禁じ得ないウルトラマンなのです。
どれくらい気の毒なのか?
当記事ではその点に注目して、『帰ってきたウルトラマン』の紹介をさせて頂きます。
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『帰ってきたウルトラマン』は、1971年に放送された作品。
初代『ウルトラマン』は1966年放送。続く『ウルトラセブン』が1967年放送。セブン終了後、年単位の間を空けて製作されたのが、『帰ってきたウルトラマン』です。
m-78.jp(2019/8/20閲覧)
で、この『帰ってきたウルトラマン』ですが…
不憫な事に、固有の名前がありませんでした。
他のウルトラ超人には、「エース」「タロウ」「ティガ」「ガイア」「オーブ」「タイガ」等々、個々人に名前が付いています。
しかし、『帰ってきたウルトラマン』が製作された時に、製作側は「ウルトラシリーズが何十年も続き、ウルトラ超人が多数誕生する」とは思っていなかったのでしょう。
その為、「何が何でも、固有の名前をつける!」とはならなかった。劇中でも、登場人物の全員が「ウルトラマン」としか言っておらず、そこだけ聞けば初代との区別がつきません。
この後、次々と新シリーズが始まり、『帰ってきたウルトラマン』と『初代・ウルトラマン』の区別を付ける必要が出て来ました。
そこで、とりあえず初代を「ウルトラマン」とし、『帰ってきたウルトラマン』を「新マン(新ウルトラマン)」と呼称する事態に。
円谷プロの公式サイト「円谷ステーション」でも、2019年8月1日に『シン・ウルトラマン』について触れています。
それによると「昭和41年(1966年)に放送された「ウルトラマン」を『シン・ウルトラマン』として映画化することが決定しました。」とあります。
これを読んで「えっ?」と思った方もいるのではないでしょうか。
以前からアナウンスされていた『シン・ウルトラマン』というタイトルから、てっきり『新ウルトラマン』=『帰ってきたウルトラマン』がリメイクされると思っていた人も、少数派ながらいると思われます。
「新マン」「帰マン」の略称で知られる『帰ってきたウルトラマン』は、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』に続くウルトラヒーローとして、3年間の空白を経て製作されたシリーズ第3作です。
(https://magmix.jp/post/16331より。改行・強調等は筆者によるもの)
『帰ってきたウルトラマン』が、子供雑誌等で紹介される時には、「新マン」や「帰マン」の名前が記述されていました。
しかし、ウルトラシリーズが次々と発表される中、「いつまでも”新マン”じゃあ格好悪いなあ」という意見が出たのか、「ウルトラマンジャック」という固有名詞が与えられることに。
個人名を貰うだけで、長い時間がかかったウルトラマン…何とも不憫です。
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不憫なのは、名前だけではありません。デザインも同様。
下記画像は、「初代・ウルトラマン」の画像です。
続いて、下記画像は「帰ってきたウルトラマン(ウルトラマンジャック)」の画像です。
両者を並べて見ると、かなりデザインが似ています。
胸や腹のラインが多いかどうか…くらいの差しかありません。
(←初代ウルトラマン)(帰ってきたウルトラマン→)
これも、名前と同様に「当初は、両者に明確な差をつける気が無かった」という点から出た話。
まあ、種族は同じですから、ソックリさんがいたとしても不思議は無いのですが…。
二番手の影が薄くなってしまいます。
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更に、各種設定も不憫。
例えば、変身です。
ウルトラマンに巨大化変身する時は、「ベータカプセル」「ウルトラアイ」「タイガスパーク」等の道具を使って変身するのが普通。
しかし、「帰ってきたウルトラマン」の場合は、「命の危険が迫った時、本能的に変身のスイッチが入る」という、何とも難解な設定。
これは、怪獣に襲われ・殺されかけた時には「オートチェンジ機能」として重宝します。
しかし、逆に言えば「死にかけないと変身不可能」ということ。自由に変身できないので、何とも中途半端です。
例えば「遠くにいる怪獣を迎撃する」となった時、主人公は”怪獣から危害を受ける距離”にはいません。その為、殺されかける事も無い。
従って、変身する為には「自らを死に追いやる行動」を迫られます。具体的には「飛び降り自殺をする」等、なかなかショッキングな方法を強いられます。
変身の度に、人間としての寿命は縮まりそうですが…。
(さすがにマズイと思われたのか、後に「死にかけなくても、主人公の意思で変身可能」という設定に変わりました)
他にも、
▼敵が、「社会的地位」や「人間関係」を利用した精神攻撃を仕掛けてくる。
▼主要キャラが暗殺される。
▼大衆の狂気に巻き込まれ、何が正義か分からなくなる。
等々、気の毒な場面が多数。
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しかし、「設定の不憫さ」を裏側から見ると…
「設定の複雑さ」「物語の重厚さ」と捉える事が可能です。
実際、『帰ってきたウルトラマン』のエピソードの中には、「考えさせられる、重いテーマ」を扱ったものがチラホラ。
大人の鑑賞に十分耐え得る完成度であり、「子どもには理解できないのでは?」という高度な話もあります。
それはどんな話かといえば…
長くなってしまったので、当記事はここまで。
次回は、『帰ってきたウルトラマン』の傑作エピソードについて御紹介します。
----------(記事了)----------
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